SSブログ

CB72 [追憶]

1970年、高校2年生の僕は無免許でお巡りさんに捕まった。田舎でおおらかな時代だったのか僕が家の周りで父親の原付バイクを無免許で乗り回していても咎められることはなかった。一方で稚拙な運転で転倒して体を擦り剝くこともあったがこっそり乗り出したバイクだから親には痛いとは言えなかった。
ある日、僕は畑仕事をする親父のところにバイクで出かけた。特に用事があったわけではないがバイクに乗りたかったのだ。そうして僕は親父が作業をする平塚の畑の前の農道でバイクで遊んでいた。すると向こうのT字路を右側からお巡りさんがバイクで行き過ぎるのが見えた。僕は内心でヤバイと感じたがバイクを反転して何喰わぬ顔で今来た道を戻った。すると一旦は見えなくなったお巡りさんが戻ってきて行き過ぎたT字路を右折して僕の方に向かってきた。僕は内心ドキドキしながらも平然とバイクに乗ってお巡りさんと行き交わすつもりだったが、そんなことが出来ようはずがなかった。かくして僕は父親の目前で無免許運転で捕まったのだ。父親はこの出来事の一部始終を見ていたはずなのだが知らぬ顔をして作業を続けていた。親父としては我が子が無免許で自分のバイクを乗るのを黙認してたなどお巡りさんに言えるはずもない。 そんな風だから家に帰ってからも親からは何も言われることはなかった。母親も何も言わなかった。あるいは丁度良い勉強の機会だとでも考えたのかもしれない。

暫くして家庭裁判所から呼び出しの通知が来た。出頭は平日の午後、場所は家庭裁判所、未成年なので親も同伴せよということだった。僕は父親に同行をお願いした。家庭裁判所は高校のすぐ裏手で歩いて5分ほどの所にあって、出頭は午後からだから学校を休むほどのことではない。何かしらの理由を付けて午後に抜けだせばよい。このことで学校からは何も言われたことはなかったのでたぶん学校への通報はなかったのだろうと思っているが定かではない。
そうして出頭の当日、僕は所用で午後の授業に出られない旨を担任に伝えて学校を抜け出した。父親とは学校の正門前で待ち合わせをした。家庭裁判所では、おそらく僕と同じ罪状のために出頭してきたと思われる親子が50組ほど集まっていた。そうして奥の方には同級生の姿も混じっていて、遠くの方から”お前もか”と目を合わニヤッとした。僕らは集団で説明を受けた後に親子一組づつ別室の家裁判事の前で何やらの審判を受けるのだが、神妙ににして穏やかな話を聞いた後に不処分の結果だったと思うがはっきりと覚えてはいない。父親はこのことで僕を叱ることはなく何か言うこともなかった。僕は親が暗黙の裡に示したそれに大事なことを教えられた気がした。

父親は機械が好きで農用の機械やエンジンは自分で整備して時にはリストアもした。シバウラやロビンのエンジンはお手の物だった。そのDNAは僕にも受け継がれているようで中学生になると親父と一緒にエンジンをいじるようになった。そうして僕が無免許運転捕まった後には誰も免許を持っていないのに中古の自動二輪車(CB72)が物置に持ち込まれてたりした。それは父の同僚でバイク好きSさんから譲ってもらったらしかった。それは僕がいじることのために手に入れた風でもあった。

CB72(シービーナナニイ)typeⅡ。アップハンドルはすぐさま一文字ハンドルに替えた。ステップもやや後ろにずらした。それに合わせて前後のブレーキワイヤーとクラッチワイヤーの長さは自分で切りつめて調整した。タペット調整やらコンタクトポイントの点火時期調整も自分でやった。後は僕の免許を待つのみだった。そうして高校3年の夏に僕は自動二輪車の免許を取得してこのバイクで通学するようになった。

中古のCB72ではあったが楽しかった。何よりも行ける範囲が広がったのがうれしかった。野に山に初めて走るところは少しばかり冒険心を煽ることもあったし、遠く一人で出かけた先の夕暮れには一抹の不安と孤独感におそわれることもあった。その後もCB72で色々なことを学び経験した。自分は決して無謀なことをしたと思ってはいないが速度違反で一発免停もあった。それからエンジンを調整するなどして最高速チャレンジをしたこともあった。夜にバイクをいじり夜な夜なテスト走行に出かけ最速記録はCB72のメータ読みで155km/hだった。夜になってバイクで出かける僕に両親は何も小言をいうことはなかったが僕が結婚してしばらくして母親が漏らした一言は「あの頃、夜遅くにお前がオートバイで出かける音を聞くと帰ってくる迄はなかなか寝付けなかったよ」と・・・伏して感謝。

バイクをいじり乗ることと遠くへ行くことは冒険への希求の一部だったし彷徨でもあった。それは明確な将来を見据えることができずにいた自分にとっで大学へ進学することよりも大切なことだった。暫くすると物置にはCB72 typeⅡのほかにtype Ⅰの車体やCP77のエンジンなども並んだが、高校を卒業してとりあえず予備校に籍をおいて浪人生活を始めるとCB72に乗る機会も少なくなって車体も部品も手放してしまった。そうしてあてどない浪人生活に見切りをつけて大学に進学すると暫くはDax50を通学の足としていたが程なく4輪車の免許を取得したのでそれからしばらくの間はバイクから遠ざかった。
ホンダ ドリーム CB72 スーパースポーツ、記憶の中では数年は乗っていたような気分だが濃密なかかわりはおよそ1年ほどだったかもしれない。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。