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もしも望むなら [反古]

雨も、川も、海も、誰のものでもなく、あまねく水の惑星の奇跡。
私には釣竿があり、ハリスに結ぶ毛鉤もあります。
そこには享受すべき流れがあり、溪魚も潜んでいます。
そうして、天よ、もしも望むなら私に溪魚を釣らせてください。

 


ゆらぎ(備忘) [反古]

ヤマメの予想集餌点を基準にしてヤマメの視界に対してフライの出現が揺らぎを持つことが必要な気がする。その出現は位置のゆらぎと時間のゆらぎを組み合わせると効果的であると感じている。
投射されたフライが流れに逆らうことなく流れ、自然にヤマメの捕食レーン付近に集中して流れてゆくとき。このような場合はフライを投射する時間の間隔を1回毎に変化させる。
フライが一定の捕食レーンに集中しにくい流れのとき、或いは一定の捕食レーンを絞り込めずに少し幅広い捕食レーンと考えられるとき。このような場合はフライを投射する時間の間隔よりもフライのプレゼンテーションポイントとトレースラインを1回毎に変化させる。
つまり、そこに居ると確信が持てるポイントを狙う場合に注意すべきこと。フライ出現のゆらぎ。単調にならないこと。

フライの構成、一定の法則性をもった外観にたいして一部のゆらぎ、または崩れた部分を持つこと。
パラシュートパターンは放射状のハックルが機能的かつ幾何学的で無機質な感覚をぬぐえない。(私的偏見)
ハイフロートなスタンダードパターンもハックルは幾何学的だが、ファイバーティップがつく水面の窪みはゆらぎがある。

オブザベーションポイントの流速、水表面の流速ではなく定位場所あるいは着き場の流速、10~30cm/sec位が目安か。


ツバメ [反古]

その1
帰宅時にツバメを轢いた。
田んぼ中のアスファルトに十羽ほどの黒っぽい小鳥がいた。
いつものスズメならばギリギリで車をかわしながら飛び立つのだが、この鳥は少しぼやぼやしている。
少し意地悪な気分にスピードを落とさず近づくと寸でのところで皆飛び立ったが一羽だけ飛び立つのが遅れて車のアンダーパネルに当たった。
ルームミーラーにうずくまるツバメが見えた。
スピードを落とすべきだった。

その2
利根の川面を飛んでいた大型の虫、あれはヒゲナガがと視線で追っていると、川上から一直線に飛んできたツバメが迷うことなくくわえていった。パシッと小さな音が聞こえたような気がした。


 [反古]

谷を思い溪魚を思う。
雨の一滴が、
草木を潤し、
岩を伝い、
岩を削り、
石を運び、
苔を育み、
藻を育て、
虫を育て、
瀬を創り、
淵を造り、
魚を育む。

禁漁まではあと僅か、
憑かれたように川に立ち、竿を振る。
釣りのことを考えて、
釣に行くことを証とする。


単純化 [反古]

 渓を歩ける間は、ずっと釣りを続けたいと考えている。が、少し飽きることもある。いいや、その先が見えてしまったものにはなかなか興味が涌かなくなるのだ。それでも、ずっと渓を歩けるように体は維持したいと考えている。

渓は色々ある、魚も色々ある、時期、天候、時間、気温、水量、水温、釣りも色々ある。だから、同じ釣などない。が、積み重ねた経験は脳のシナプスの連鎖の中では少しづつだが、多くの様式に分類されてきている。定性化されて意識されている幾つかの鍵となる項目と論理化されていないが感じる項目によって、直感的に一つのパターンが浮かんでくる。そのパターンの先には出現確率が算出され、困難さの多い部分は切り捨てられてゆく。そうして確率(密度)の最も高い部分を探して釣りを考える。そんな風に単純化されていった。それで釣れるのかと問われれば何とか釣りにはなっている。

釣りの機会を最大にして、場所を問わず、単純化された方法で釣りをする。精神を楽しみ、感情の起伏を楽しむ。長い間に身についた仕草は無意識のうちに毛鉤を投げて魚が出てくることを待っている。で、釣れたらどうするかというと放してしまう。それが生活の支えとなる釣りならば「いただきます」の目的を達した時点で竿をしまうだろう。いったい、何処へ行くのか。千日回峰行求道者のように釣りをするのか。それならば「千日回釣行求道者」だ。堂入りは何時になるのだろうか・・・


戯言 [反古]

釣においては、魚よりも人間のほうが常に優位に立っている。元より魚たちは釣り人の罠にはまることを想定し警戒し、そこに生息しているのではない。

自らの複製を残すことがDNAの本質だし、長い年月のうちに魚のDNAに蓄えられた「警戒」が生き残るための一つの条件になっているに違いないのだ。ところが、この「警戒」も含めて何万年もかけて生息環境の変化に対応してきた魚も、人間の釣りという行為による環境の変化ついては充分に対応しているとはいえない。だから、稚拙な毛鉤にも騙されて釣られてしまうのだ。

それでは、キャッチ&リリースを繰り返すとどうなるのだろう。魚の一個体は釣られて後のリリースによって人間の謀略を学習することになる。これを繰り返すと、その一個体は釣られにくくなるかもしれない。しかし、これを何世代にもわたって繰り返すと、釣られても生き延びる種類の魚が増加し、その末裔は釣られやすい種として固定されてしまうのかもしれない。
いやいや、そんなに釣りを出来るはずがない。そんなことがあるはずが無い。釣られた魚は釣られたことによる目に見えないダメージで死んでしまい、終にはつれにくい種類が生き残る増えることになるのだ。本当か・・・
この二つの堺目は何処にあるのだろう。きっと、リリース魚による再生産量が釣による死亡量を上回れば釣りやすい魚の占める割合は高くなるはすだ。何万年かかけて。

それでは簡単に釣れる魚が増えると人間はどうなるか。これほどに釣に興味を示さなくなるかもしれない。そうすると釣による死亡量が減少して全体には釣れにくい魚の比率が増加することになり、またぞろ釣れない釣に惹かれるものが増えてくるかもしれない。いやいや、そんなことは余計な心配だ。

釣においては、魚よりも人間のほうが常に優位に立っている。にもかかわらず釣に行く。だから、自分の釣には釣れないようにするための手かせ足かせが必要なのかもしれない。


「コモンズ」 [反古]

当たり前の概念なのだが、立場が変わり、利害が関わると大変難しくなる。
総論賛成各論反対になりやすいのだ。
「公私共」「永続可能性のある慣習的自治」
古来、人は山河とそこに生きるものを畏れ崇め敬うことで自然に対して永続可能な慣習的自治を行ってきた。
それは自分のためではなく、ましてや自然のためでもなく、その向こうにいる人のためなのだと思う。

生物多様性(備忘) [反古]

生物多様性、その先にある真っ黒なものの一つの答え
  • 遺伝的多様性 - ひとつ種の中での遺伝子の多様性。同じ種の中での個体間の違いや、個体群間の違い
  • 種多様性 - 種間の多様性、多くの種が存在すること。
  • 生態系多様性 - 生態系における多様性。遺伝子に記憶された異なった諸過程の豊富さ。

  • 釣りたい魚、やりたい釣り [反古]

    釣りたい魚は釣れない魚

    魚が居るのだが見えなくて居るのかどうか定かではない川

    やりたい釣りは釣れない釣り


    なにか真黒いもの [反古]

    釣り、
    その先にあるなにか真黒いもの、
    飢餓、
    渇望、
    あてどない欲望
    幸せの先にあるもの