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哲学の道 [追憶]

「哲学の道」、田圃の中の曲がりくねった小径を高校の同級生Kはそう呼んだ。それは僕が電車に乗り遅れて自転車で学校まで行った日のこと。そのころ僕は電車で通学していたが、時折の電車に乗り遅れることもあって、そんな時はそのまま自転車で学校に向かった。駅からは学校までは約9km、駅との標高差は30m、3.3‰の下り勾配になるので案外軽いペダリングで遅刻することなく到着した。帰り道は平坦に見えても3.3‰の登り勾配がだらだら続くので思いのほか時間がかかった。
その日、僕らは午後の課業を終えてとりとめのない話をしていた。多感で変貌する年頃だから一つ先に足を踏み入れたものそうでない者が混ざり新しい気付きも多い。加えてKを含め男子校の生徒たちは何かしら思慮深さを感じさせ芯の通った個性的な輩が多かった気がする。彼らに比べて僕は奥手で軟派(ナンパではない)だったから彼らと交わす言葉の中に刺激を受けることが多かった。
その時、僕はKとどんな話をしたのかおぼえていないが僕は遠くを見つめるような眼差しで話す彼に興味をもった。それで僕はもう少し話をしたい気分だったのでKの帰り道を自転車を押して一緒に歩いた。Kの家は豊田本か池辺あたりだったと思う。およそ4kmほどの道のりだから歩いて小一時間ほどになる。
郭町から幸町へ向かい、鍵の手や丁字路の多い路地を抜け、六軒町を過ぎて上野田あたりまで来ると遠く秩父と奥武蔵の山並みを背景に目前には稲刈りを終えた田圃風景が広がった。
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豊田本の田圃の中の草が生えた小径は曲がりくねって遥か先まで続いていた。Kはそこに慣れた足取りで踏み入れ、毎日ここを歩いて通っているのだという。そうして遠くを見る目で「僕はここを哲学の道と呼んでいる」と言った。田圃の中の見慣れた風景であるが曲がりくねった小径をばらく歩くと稲刈りを終えた広い田圃のなかに人家は遠退いた。僕はとりとめのない身の上話をしながらKが「哲学の道」と呼ぶ訳を考えていた。それはKが自分に向けて茶化す風にも、自分を鼓舞する風にも聞こえたが、Kは毎日色々なことを考えながらこの道を歩き、そうして考えている自分を俯瞰してこの道を「哲学の道」と呼んだに違いなかった。僕はそんなKを少し誇らしく感じ、Kが同級生でいることが嬉しかった。Kは時折目線を遠くに移すほかは彼には改めて見るべきものもない風に歩いた。僕は自転車を押しながらKと並んで歩いた。



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