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LM-2810修理と整備 [塗師屋]

そろそろ芝のメンテナンス。シバゲンを散布する時期になったので冬枯れの芝のサッチングと刈れた芝刈りをした。ところが使い込んだLM-2810の2号機は何だか回転が重く安全ブレーカーが作動するようになってしまった。うむ、これは冬枯れの芝のせいだとだまし騙し作業を続けると何やら焦げ臭いにおいがして大方の作業を終えるころにはいよいよ回らなくなってしまった。
最早これまで。分解して見るとモータが発熱して樹脂のハウジングが溶けている。さらに刈刃ローターを支えているシールドベアリングの回転が渋くなっている。そのせいでモータの負荷が増加したのだ。それを無視して安全のブレーカー作動したのにだまし騙し使ったのがダメだったのだ。
ローターのベアリングは注油をしてみると軽く回るようにはなったが既に大きなガタが出ている。モーターは発熱でハウジングが溶けたせいでステータの位置がずれてローター冷却ファンに当たっている。約8年も使ったのだから致し方ないが最早これまで。部品交換するほかはない。
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2月22日 注文しておいたパーツ、モーターアッセンブリが手に入ったので交換
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2月27日 ロータのベアリングも新品に交換
それから、サッチングローターのベアリンを整備し、1号機のスモールパーツも交換して来るべきに備えた。


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お稲荷さん [塗師屋]

6月16日 宮司のお祓いを受けてお稲荷さんの外宮を新調した。

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お稲荷さんは昔は庭の中ほどに鎮座していたがおおよそ60年ほどまえに今の場所に移した。その時は先代の宮司にお祓いをお願いし、以降も豊作を願い、家内安全を願ってずっとお祀りしてきた。
古い外宮は長年の風雨にさらされて屋根は綺麗な緑青を葺いているが、縁には灯明で焦がされた跡が付き、社はところどころ朽ちはじめている。庭木の手入れをするたびにそれが気にかかってきたので意を決して社を新調した。

五穀豊穣、家内安全、玉串奉奠


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はぜる [塗師屋]

9月16日 先週のうちに糯の稲刈りをして“稲掛け”を終えた。そうして今日は粳の稲刈りを終えた。
粳米はコンバインで収穫するので稲刈りは同時に脱穀も意味していて、収穫した米は乾燥機に投入して水分量15%を目標に乾燥させる。一方、糯は作付けが少ないので面倒でも稲刈りをして昔ながらの“稲掛け”をして天日で干してから脱穀機にかける。古い脱穀機は糯米専用となって久しい。こうしておけば糯米と粳米が混ざるのを避けられる。とはいえ籾摺り機は一台しかないので隅々まで清掃しないといけないのだが・・・。

ところで、この辺りでは稲木に稲を干すのを“稲掛け”と言っているが地方によっては“はざがけ”というところもある。似たような稲作の言葉に“はぜる”というのがある。僕はこの“はぜがけ”は稲を“はぜる”ために稲掛けをすることだと思い込んでいた。だから“はざかけ”ではなくて“はぜがけ”か?などとも・・・。
あらためて調べてみれば“はぜる”とは糯米を干して十分な乾燥状態になると玄米が白くなることをいうので、稲作で“はぜない”と言えば糯米の乾燥が足りないという意味になるし、“はぜた”と言えば乾燥したという意味になる。
これとは別に“爆ぜる”と書いて“はぜる”と読むが、これは木の実などが熟しきってはじけるさまを言うらしい。“糯米がはぜる”とはこの熟しきる意味を米に当てはめたのだろうか・・・。
それから、“はざかけ”これは“稲架掛け”と書くらしいが“稲架”を“はざ”と読むのは強引な感じがする。

百科事典によれば、稲束の乾燥法のひとつに架干し(かぼし)があり、架干しのために用いられるのが稲架であり、稲架は地方によって“はざ”,“いねかけ”,“いなぎ”、等々・・・の呼び名があるという。
“いなぎ”は“稲木”、“いねかけ”は“稲架”を充てれば納まりが良いかんじがするが“はざ”はやはり“爆ぜる”から“はぜる”になって“稲架”に“はざ”を充てたような気がする。もしもそうだとすれば“はぜる”から“はぜがけ”となりそれが“はざかけ”になったのではという思い込みはあながち外れではない気もするが・・・。
稲掛けをした糯米はあと数日ではぜると思う。


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夏の定番 [塗師屋]

小さいころから親しんでいる夏の定番といえば冷や汁。
冷たいご飯にかけたり、そうめんのつけ汁としたりして夏の食欲を目覚めさせる。
我が家のその冷や汁も色々と変遷があるらしい。
先ず、祖母の冷や汁は、ゴマ、赤みそ、キュウリのシンプルなものだったらしい。
それを母が、ゴマ、しそ、赤みそ、キュウリにしたのだという。
しそは赤しそ、庭先に生えたそれを使う。このため庭先の草とりは赤しそを残すように手作業になる。最近は刈り払い機で赤しそも刈ってしまうので庭先の菜園にはしそを植え付けてある。
そして、妻はそれを、ゴマ、しそ、赤みそ、だし、キュウリとした。
今ではそれに豆腐(ミキサーで砕いてある)を足したりして栄養に配慮している。
あるいはツナ缶やゆでた鳥のささみなどを混ぜ込むこともあるがこれは僕の好みではない。
今では嫁が冷や汁とともに炊き立てのご飯を冷たい水に浸してから水をきって食卓にのせる。
これはご飯の味が際立つ大変贅沢な食べ方だと思う。
冷や汁。
夏の定番。

 


餅つき [塗師屋]

12月30日 餅つきには何か幸せな気分が漂う。
そのせいもあって、毎年欠かしたことは無い。

糯米を精米し、研ぎ、水に浸し、竈に薪をくべ、蒸かして、餅をつく。
つき上がった餅は、のし餅やら、お供えやらをこしらえる。
とにかく、そこに居るものは何かしらに手を出して餅つきをする。
小さな子供は手始めに小さなお供えを丸めたりする。
もちろん、からみ餅やきな粉餅などもその場で食べるので、傍らで誰かが準備を進めている。
つき上がった餅をひねり取って食べるのは格別なのだ。

蒸しやつきの加減はマチマチだから一臼毎に餅の味が違ったりする。
それを皆で、あれやこれやと言いながらつまみ食いを楽しむ。
やがて興にのると、蒸し上がったおこわを蒸篭からひとすくいして生醤油をかけて頬張る輩も出てくる。
(かく言う僕も生醤油をかけたおこわを頬張るのだが、これが美味い)

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今年は一家に家族が増え、彼らの友達も参加した。
そこに居るものは何かしら手を出して大勢で餅つきをする。

年の瀬に餅つきには何かしら幸せな気分が漂う。

 


耕起 [塗師屋]

3月8日 少しずつ春めいてきた。お彼岸の頃には種芋の植えつけをしなければいけないので、冬のうちは放ってあった畑を耕起した。

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天気も上々。田圃の荒起こしもした。僕はこうしてトラクターに乗るのが好きだったりする。

幸せの里芋 [塗師屋]

11月10日 悩ましい事柄に気をもんでいても季節は進んでいく。今日は気をとりなして里芋を掘り起こした。

稲刈り、籾摺りが終わると少し緊張が解ける。だから、一時野良仕事のことを忘れる。稲刈りと前後するように秋野菜などを作付すればよいのだが、手間がかかる葉物はなかなか作付できない。三足の草鞋を履いているのを言い訳にしているせいもある。そうして気が付くと畑は草茫々たる有様になる。

春に植え付けた里芋と八頭は未だ畑に残っている。夏の内には土寄せもしているので、雑草は伸びているが畝の間に茂っていだけで、芋の葉はその草の上に葉を伸ばしている。
昨年は高温と日照りのせいで里芋の収穫は散々な状況だったが、今年はどうだろうか。
草をかき分けて万能鍬を振りおろし、里芋を一株づつ掘り起こした。一畝を堀起こしては子芋、孫芋を解き、籠に入れ、次の一畝をまた掘り起こす。
八頭は鍬を入れる前に茎を切る。姉はこの茎を干した芋茎が好きだった。
八頭は子芋を解いて種芋にし、親芋を食べる。ゴツゴツとした芋を根や茎を削り落としてこさえるのは手間がかかる仕事でもある。塩ゆでをした八頭は灰青色をして白く粉が吹いたようになる。堀り上げた八頭にほっくりとした味わいを想像した。今年の芋はまあまあの出来と言ったところか。

この里芋や八頭がどんな品種なのかは分からない。ただ、里芋については父がいろいろと試した中で最も食味が良い里芋だとして種芋を残してきたようである。そうして何年も作り継いで来た。私もかれこれ20年以上にわたりこの種芋を継いできている。
里芋を煮しめる時には皮をむいてこさえてからしばらく放っておくとよいと母が言っていた。里芋は乾いた切り口に新たな皮ができて煮崩れしにくくなるのだという。
醤油で煮しめた里芋も中は真白で、何とも言えない食感である。おおよそ仏頂面をしていても、この食感には思わず頬が緩む。そんなこともあって何年も継いできたこの里芋に、私は「幸せの里芋」と名前を付けている。
種芋を残したら、「幸せの里芋」の煮つけ作ってもらおうと思う。


遺品 [塗師屋]

ようやく秋らしくなった朝に長年どうしたものかと思っていた遺品の本を整理した。
それは一人の男の回想をするようなものだが、遺品と記憶と幾つかの断片をつなげて思い出を再構成するようなものだった。
つまり彼の人生が幸せだったと言うために必要な構成を私の方法で再構成する作業でもあった。

長い間、僕はその人に愛されたという印象を持っていない。
それは、彼が愛情表現をするにはシャイで、男は自ら為すことが当たり前という風で自分の背中を見せる方法によったせいかもしれない。同時に私がそれほど大きく道をそれることが無かったので、ひどく咎められるようなこともなかった。だから、人生に大切なことを面と向かって教えられるような事もなかったが、いろいろな局面で物の捉え方、価値、あるいは決断などについて、それとなく聞かされた。それは「なるほど」と思うことが多かったが、一方では「そんなはことない」と思うこともあった。それは自分は「おやじ」とは違うという強い対抗心の表れだったもしれない。
また、彼には家督の名残ともいえる一族を守る本能があって、家長(あるいは族長)として一族のためにそこまでするのかという面も見せた。それは家族に対する愛情のようでもあった。私の妻などは「男」(群れを率いる男)としては私は「おやじ」に負けていると私を評した。(今は、どうか・・・)
それで彼の中で自分の順位はというと一族の末席に置かれていた感じがする。彼の本意は知る由もないが、総領は自分を犠牲にしてでも家族(あるいは一族)を守るものだ、という黙示であったかもしれない。今になっては一族の意識は希薄になっているが、こと家族に対してはこの意識が私の根底にあることを否めない。
晩年は不自由な身体なっても性に対する興味があったこともささやかなエピソードから知った。
女たちはそれを老いたのにしようがない爺だとも話したが私にはそう思えなかった。

村では頭の良い少年がその青春を戦争の真っ只中で過ごし、出征中に父親を亡くし、復員の後は貧しい家を今の不自由がないまでにした。母とは遅く結婚し、明日のために皆のために身を粉にしたと言える。

残された本の多くは青春を時代を過ごさざるを得なかった太平洋戦争に関するものと中国の歴史あるいは人物の物であった。中でもパラフィン紙でカバーされピンクの帯が付いた岩波文庫の「三国志」(全10冊?)は順次発刊されるのを待って手に入れて読んでいた姿の記憶がある。また、時折はその中の故事に例をとって話をしてくれたのを想い出した。

残すべき本を私なりの基準を設けて選択を試み、栞代わりに挟まれていた封筒や姉の名前が入った葉書などもそのままに物置の書架に並べた。
古本としての価値はさておき、私の孫、つまり彼のひ孫がそれを見た時に彼をどう見るだろうか・・・。


籾摺り [塗師屋]

9月26日 粳と少しの糯の籾摺りを終えた。
田起こし、播種、代かき、田植えなど色々と煩雑な仕事に区切りをつけながらやってきた。
お盆のころには花掛け水を・・・「花掛け水」、地味で目立つことのない稲の花を想う気持ちと、収穫を願う優しい気持ちが込められている気がする。
やがて稲穂は頭を垂れ、彼岸には田圃が色づき誇らしい稲刈りを迎える。
そうして収穫のまとめは籾摺りになる。
籾摺りの仕事は稲刈りと同じように禾っぽくなるが厭うことはない。
さらさらとした籾が艶やかな玄米に変わり、袋を膨らませると幸せな気分になる。

いろいろあっても、ここまでやってきて・・・
他人には、なぜと問われても、稲が育つのが可愛くて、だから楽しい、と答えている。

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でも、一番は妻においしいと食べてもらいたいから、家族にそれを見せたいから・・・
そういう自分でありたいからだ。

愛されるより愛することのほうが幸せに違いない・・・

 


稲刈り [塗師屋]

9月21日 稲刈りを終えた。

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刈り終えた田圃で落穂を拾い、いつものように稲飾りを作った。