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DUCATI 750 F1 [DUCATI 750 F1]

10月25日 DUCATI 750 F1 (PANTAH)を手放すことにした。

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思い入れの詰まった750 F1 (Ⅱ型)は僕にとっては正に"priceless"である。でもそれだけでは無い。およそ30年前に750 F1が欲しいと打ち明け、その時にそれを良しとしてくれた妻の思いも今だに嬉しいのだ。あらためて、手放す事を妻に話すと僕の気持ちを察してか「わかった」とあっさりとした返事が返ってきた。他に比べ様も無い。

F1はメンテナンス(今ではレストアか)が必要な状態で物置に保管してあった。このまま放置すれば、いずれは心無い手で古いバイクとしてスクラップにされてしまう。そうなるくらいなら、いっそ自分の手で解体してしまう方がいい。なんだか物狂おしい考えがよぎる。一方で、何か商業ベースでことを進めるのも忍びない。我儘なこととは承知していてもせめて誰かPANTAH F1 への想いを共感できる者の手に渡れば心穏やな気がする。
F1と自分に染み付いた思い出と想いを一つ一つ剥ぎ取りながら意を決して、然るべき人を尋ねて譲りたい旨を伝え、今日引き渡した。なので、価格、それには意味を持たせなかった。

F1 は気を抜いた走りにはダルな面を覗かせるだけで何も応えてくれない。その反面、気を入れて次の動作に備えて常に前に進めるようすると活き活きとしてくる。タイトなライディングポジションはそのためにあり、それ以外を許容しない。
それは、ライダーに真摯に向き合うことを要求してくるし、ストイックに向き合えば確かにそれに応えてくれる。
レインコンディションでは十分な制動距離を確保しなければ用をなさないブレンボのダブルディスクブレーキ。フローティングディスクのそれはドライコンディションではきわめてコントローラブルだった。
背中をガソリンタンクに押し付けられるようなターンでも右手には確かに反応した。そうしてコーナーに出口が見えれば“さあ行こう!”と声をかけてきた。
語るように駆けると語るように応えてくる。すべてはそのことのみの為に構成されているのだ。

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DESMODROMIC
PANTAH
ファビオ・タリオーニの手になる最後の DUCATI 750 F1。
そのF1と共に確かに例えようも無い濃密な時間を過ごした。

引き渡す前に、埃を払い細っそりとした車体に跨がってみた。
アルミのステップ(換装してある)に足を掛けて、低く構えたグリップを握ってみる。
細く絞りこまれたアルミ製のガソリンタンクが太腿に収まる。
小さなFRPのカウリングに身を伏せると"さあ、行こう!"とせがまれた。

愛おしい・・・

 


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