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いすゞ117クーペ [追憶]

1976年に車の免許を取ってからはじめて運転した車は フォード コルチナ 。叔父が貸してくれた左ハンドルだった。
そうして免許を取得したのに合わせて親父が買ってくれた車は いすゞ117クーペ XC。当時の価格で約200万円位だったと思う。
エンジンは G180 SOHC 1.8L ボッシュ・Lジェトロニック。
フロントはダブルウイッシュボーン、リヤはリーフ、タイヤは165SR-13。パワステ無しでステアリングは重かった。
”クーラー”はグローブボックスの下に付けるタイプで邪魔な感じがしたので付けなかった。夏には三角窓を開けて”強制空冷”にした。
その117クーペの写真が古いファイルの間からこぼれてきた。写真など残っていないと思っていたので懐かしさがこみあげてきた。

デザインはジョルジェット・ジウジアーロ。初期型は”手造り”の部分が多かったといわれるが、僕のそれは第二世代のもの。美しいデザインは今でも色あせない。丸目に流麗なボディライン、ピラーのトリムはステンレスだった。そうして何よりも気品がある後ろ姿の造形は際立っていて今でも胸がキュンとなる。
そう、ルーフには雨樋が無かったのでステンレスのルーフバイザーを付けていたが大して有効ではなかった。
固めのシートには特製のフルカバーを母親に作ってもらった。
右のフロントピラーの前に垂直に立ち上がる電動アンテナ。オーディオはFM付きラジオにカセットテープ。吉田美奈子や因幡晃、HiFi-Setなどを聞きながら当時の付き合っていた彼女に会うために東名を何度も往復し、彼女を乗せてドライブやら旅行もした。同時に旅先の、あれはたしか野尻湖から長野のホテルへ帰る夕暮れに彼女を乗せたままフロントを少破して翌朝には旅を切り上げるという苦い思い出も甦ってきた。
ジョルジェット・ジウジアーロのエレガントなデザインの117クーペで女性をエスコートするのは何か誇らしく嬉しく思った。



1977spring-1.jpg

このプリントは1977年の春に金華山ドライブウエイを登った時にものだと思うが・・・彼女の家は金華山をおりて長良川を渡った先にあった。
それから、白黒の”ベタ焼き”のカットも何枚かこぼれてきた。どうやら大学の工学祭の折に撮ったもののようだ。
鉄道研究会のHOモデルのレイアウトの前のカット、顔振峠(たぶん)でのカットとともにキャンパス内に乗り入れた117クーペの前で撮ったものが出てきた。

197711-1.jpg

遠距離恋愛だった。
117クーペとともに思い出のひとつ。





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