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Standchen [追憶]

12月8日 気にかかることがあっても時は過ぎてゆくので季節の作業を進めなけれいけいない。そう思って葉が落ちた庭木の剪定を始めた。毎週末に庭木の枝を下しても離れの庭まで整えるにはひと冬かかる。例年と違って今年はイヤフォンを耳に音楽を聴きながら枝下しを始めた。
僕は天邪鬼なのでiPhoneにはクラシックから演歌まで入れている。節操がないと言えばその通りだが、折々の情緒にあった曲を聞いている。演奏に息遣いを感じ入ることもあれば、作った人の情に想いを巡らせたりもするが、一番は情緒だったりする。
初めは美しいとか、気分に合っているとか、何かしらの情緒を感じるわけだが、繰り返し聞くなどすることで、音楽が折々の情緒と共に躰に摺りこまれていく。そうして、その音楽を聞くことによって躰に記憶された様々な情緒が揺り起こされてくる。音楽は情緒に直接働きかけてくるのだ。

若いころに覚えたMarschnerのStandchen(Warum bist du so ferne ・・・Wolff)などは、そのころ特に想いを寄せた人がいたわけではないが、夢に満ちたそれでいて人を想う甘く切ない恋心の情緒として僕の奥に摺りこまれている。Wolffの詩は遠く離れた恋人を慕うものだと思うが、この歌を覚えた数年後、大学生の頃に僕は期せずして遠く離れた音大生(ピアニスト)と恋に落ちた。それは、いわゆる遠距離恋愛でもあり、遠く逢えない時の想いを募らせ慰めたのが、このStandchenやピアノだったりした。

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1975年 僕が大学2年の時、彼女との出会いは旅先の夏の信州だった。僕が旅の手慰みに宿のピアノに向かっていたところに偶然に泊まり合わせた彼女がいたのだった。その時の曲はポール・モーリアの涙のトッカータだった。それは僕がピアノ用におこした稚拙なものではあったけれども彼女もその曲が気に入っていてピアノを弾いていた僕に話しかけてきたのだった。(後になって、手書きの楽譜を彼女に渡した記憶がある)
その宿には僕も彼女もそれぞれの大学の仲間とともに泊まり合わせたのだけれども、その日はなんとなく離れがたくて互いの仲間をさておいてピアノの前で時を過ごした。それぞれが好きだった涙のトッカータと、それぞれの情緒が共鳴して、この一瞬で恋に落ちたのだった。
ピアノ曲といえば若いころに患う夢見がちな恋心にはChopinのそれは甘美であったりする。音大生の彼女もChopinが好きだったし工学部の学生だった僕もその例に漏れない。
とりとめのない話をする中で彼女は僕にChopinのどの曲が好きなのか問いかけてきたので、僕は「特にBalladeの3番!」と答えた。(その頃は本当は1番が好きだったが・・・それ以外に僕が彼女を試したことはない)すると彼女はその曲を思い返すように上目遣いに頷いた。
僕は彼女に何番が好きなのかは聞かなかったが、そんなこともあって互いの気持ちが通じあえるような必然を感じていた。そうして翌朝にはお互いの連絡先を交換して別れた。
それぞれは信州を周遊するような旅でもあったので、幾つか先の目的地で再び出逢ったような、ぼんやりと甘い記憶もある。いや、それは二人で再び訪れた少し紅葉の始まった清里だったかもしれない・・・

そうして、恋に落ちた僕と彼女は遠距離を苦にすることなく逢うようになった。遠く金沢で待ち合わせたこともあれば、毎月のように東名高速をひた走り岐阜や名古屋でデートを重ねた。
彼女の家は長良川を渡った先にあり、忠節橋、金華橋、長良橋のいずれかを渡らねばならなかった。このうち忠節橋と長良橋には名鉄の路面電車が走り、金華橋は朝夕の混雑する時間に中央線を変移させるので初めの頃は戸惑ったが、何度か通ううちに市内のワシントンホテルからの道も迷うことなく慣れるようになった。

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デートと言っても、週末のアルバイトで稼げる金は少なかったので、お気に入りの曲をカセットテープに入れたものを聞きながら木曽三川をドライブしたりした。二人でピアノのコンサートなどにでかけたことやナゴヤキャッスルホテルの窓から名古屋城を見ながら食事をした記憶もあるが、遠い記憶の断片をうまくつなぎ合わせられない。
また、時折は信州のとある駅で待ち合わせするなどもした。それには彼女が中央西線で、僕が中央東線あるいは信越線で行かなければならなかったので逢えた時の心持はいつもドラマチックだった。当時の遠距離恋愛では互いの想いを交わすのは手紙や夜更けの黒電話しかなかった。やさしい手紙の筆跡に思いを馳せ、受話器の声に思いを込め、次に会う時を心待ちにした。だから、逢えない時間は想いを募らせるしかなく、それを慰めるのも音楽だった。そうして、遠い信州の眩しい夏の日の駅や雪が舞い降るホームでの待ち合わせは切なくも待ちわびた分だけ嬉しく感動的だった。
たしかに、安曇野の白いペンションや松本で時を過ごしたりしたのだが、もはや思い出は輪郭を失い断片の記憶と情緒だけが躰に残っている。

女性としては背が高かった彼女はそれを気にして僕と逢うときにはヒールの高い靴を避けた。細い指でピアノを弾く彼女は色白で口元に小さなホクロがあり、ルノアールが描いた風と言えば、ちょっと美化し過ぎかもしれない。その彼女との恋も僕が就職を決めたころに終わりを告げた。
僕は彼女と結婚するすることを真面目に考えていたし、その為の心積りをしていたのだが、就職が近づくと何故かしら恋の行く末と仕事を持つことの現実との隙間をうめる自信が持てなくなっていた。そうして、3月のある夕べ、どちらから言い出すでもなく「もう、これからは電話しないよ・・・」が最後に交わした言葉だった。
同時にChopinの甘く官能的な情緒は新しい生活には不釣り合いな気がして、しばらくChopinを聞くことはなかった。

音楽は時に、片恋の慕情を煽りもすれば、悲劇的な失恋の感傷を繰り返し甘く撫ぜたりもする。
Standchen・・・


Standchen (Warum bist du so ferne) は Gute Nacht とか 小夜曲 とも呼ばれています。  Gute Nacht - Dresdner Vocal Quartett などはいかが・・・


追記: 手紙とともに全部捨てたはずなのに・・・2020年古い写真の中から思いがけないプリントが出てきた。1975年 清里での出合から、追憶に慕情がよみがえる・・・遠い日のこと・・・


 

 

 


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