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Standchen“3月のある夕べ”の断片 [追憶]

僕は彼女と結婚するすることを真面目に考えていたし、その為の心積りをしていたのだが、就職が近づくと何故かしら恋の行く末と仕事を持つことの現実との隙間をうめる自信が持てなくなっていた。

1978年 春
それは彼女の何気ない一言が発端だった。
「それで、いつA社に入れるの?」
僕が某大手A社の関連会社に就職が決まったことを告げると、それに倣うように彼女は言った。
それは、世間を知らない小娘の他愛のない一言であったが、いずれ結婚すればその仕事が僕らの生活をささえるのだから彼女のそんな期待もわからないわけではなかった。 しかし僕は新しく入る世界に自信が持てなかったので彼女の一言に言い返すことをしなかった。
その頃は第二次オイルショックの影響もあって大卒の求人も少なかった。野心を抱くものは手当たり次第に求人にあたり大手企業への就職を目指していた。僕はといえば感傷的で奔放な大学生活を終えて、就職という何かしら“べき論”に服従し、勝ち抜き競争を余儀なくされることに憂鬱なものを感じていた。だから少ない求人カードから適当な就職口を見つけはしたが将来に希望を持つような気分でもなかった。彼女の一言はそんな僕の気分を見透かしたようでもあった。
実際に、僕が彼女の一言を打ち消して、そうでないことを分かってもらうには時間がかかる気がした。
就職して働くとなれば遠距離恋愛になおさら時間が取れなくなる。
そうして、僕は、彼女の一言を受け止めて、近い将来に現実に訪れるであろうをぼんやりと想像してみた。そんな想像を僕が彼女に話したとして、その先はどうなるだろうかとも想像してみた。
彼女は将来に自信がない僕を見限るのか、それとも、その先に二人の将来に希望を見いだそうとするのか。
僕は、自信の無さを彼女に励まされつつ新たな課題に二人で立ち向かう事を願うこともできたが、同時にそれは自分の弱さを彼女の前に曝け出すことにもなる。
そんな自信の無い僕を彼女はどう思うだろうか。そう考えると臆病な僕は彼女の一言を打ち消すことができなかった。あれほど慕わしく大切に思っていたのに彼女の前で僕は自分をさらけ出せなかった。僕は自分を投げ出す覚悟などなかったのだ。

そうして、3月のある夕べ、どちらから言い出すでもなく「もう、これからは電話しないよ・・・」が最後に交わした言葉だった。


追憶1977
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