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単純化 [反古]

 渓を歩ける間は、ずっと釣りを続けたいと考えている。が、少し飽きることもある。いいや、その先が見えてしまったものにはなかなか興味が涌かなくなるのだ。それでも、ずっと渓を歩けるように体は維持したいと考えている。

渓は色々ある、魚も色々ある、時期、天候、時間、気温、水量、水温、釣りも色々ある。だから、同じ釣などない。が、積み重ねた経験は脳のシナプスの連鎖の中では少しづつだが、多くの様式に分類されてきている。定性化されて意識されている幾つかの鍵となる項目と論理化されていないが感じる項目によって、直感的に一つのパターンが浮かんでくる。そのパターンの先には出現確率が算出され、困難さの多い部分は切り捨てられてゆく。そうして確率(密度)の最も高い部分を探して釣りを考える。そんな風に単純化されていった。それで釣れるのかと問われれば何とか釣りにはなっている。

釣りの機会を最大にして、場所を問わず、単純化された方法で釣りをする。精神を楽しみ、感情の起伏を楽しむ。長い間に身についた仕草は無意識のうちに毛鉤を投げて魚が出てくることを待っている。で、釣れたらどうするかというと放してしまう。それが生活の支えとなる釣りならば「いただきます」の目的を達した時点で竿をしまうだろう。いったい、何処へ行くのか。千日回峰行求道者のように釣りをするのか。それならば「千日回釣行求道者」だ。堂入りは何時になるのだろうか・・・


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