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終活あるいは断捨離 [釣り]

8月27日 いよいよフライフィッシングり道具の整理する段になった。断捨離とか終活とかいう類になるのかも知れない。
フライフィッシングを始めた頃に幾つか自分のルールを決めている。それは思いつくままに釣りの手を広げるとあてどなく道を外れてしまうかのような恐れを感じたためで、自分の趣味としての釣りはフィールドは自然の淡水、ラインは#4に限るなど大まかなルールとしてきた。それは裏の川で気ままに釣りをすることを想定してのことでもあった。それでフライで釣れる魚は何でもよかったのが、いつしか渓流にヤマメを追いかけるようになると、#4のラインでヤマメを探るだけなのに気が付けは色々な道具どんどん増えていった。
フライフィッシングに折々に流れを読んで釣る面白さにある種の夢や可能性を追いかけてきたが、一方では自分は釣れるのだと見栄を張りたい気分も頭をもたげたりもした。釣るためには面倒なことを惜しまないことが肝要ではあるが、状況に応じて多種多様なフライや装備で対処する釣り方もあれば他方で余計なものをはぎ取って至極シンプルにヤマメを探ってみるのも一興である。どうやら自分は後者のようでフライフィッシングの装備を纏ったテンカラ師かもしれない。齢を重ねたこの頃は肩の力も抜けてきて自分のスタイルというのもおこがましいがシンプルな装備で釣れなかったことも含めて釣りを楽しめるようになってきた。
鮮烈な流れに立って渓魚を漁るのは狩のようでもある。遊漁としての釣り師は思う魚が釣れれば雄たけびをあげ釣れない時には戦いに敗れたかのように語る節もある。ただ渓魚は釣り師と対峙しているわけではなく普段の営みの中にいるのであって釣り師はそれを掠めているのだ。そうして狩りは人間の本能だとして釣りをしても掠めるように針に掛けた渓魚に何かしら後ろめたいもの感じてそそくさと流れに返す。それでも、だからこそフライフィッシャーたるもの渓魚がフライを銜える一瞬のために全てを整えて臨むべしとしてきた。
フライ、ティペット、リーダー、ラインはその一瞬のために工夫され竿やリールも選択される。なかでも竿は終日振られるなかでそれ自身の挙動に加えて風やラインや渓魚の動をフライフィッシャーに伝えてくるから竿に向けるフライフィッシャーの要望は多様で飽くことがない。それは実用的な機能への想い入れから工芸的な美しさをも望むこともあるが、多くは竿から伝わる感覚量を機能特性たる物理量に置き換える要求である。ただ、この感覚量は時によって変わるから想うような竿を望めば終わりがなく、その竿を望んだ自分でさえも望む竿の姿を見失いもする。
フライフィッシングの道具は知らずのうちに増えてきた。もはや使いきれるものではない。時の移ろいとともによいよ整理すべき時が来たのだ。九十九神が憑かないように・・・。



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