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絹の装幀 [追憶]

それは彼女に勧められた本だったのだろうか。
それとも何かしらのきっかけで、一つの愛の形として話題に上がったのだろうか。
あるいは、こんな風に愛し、こんな風に愛されたいといった議論に出てきたのかもしれない。
とにかく、それらしいことをきっかけに僕は黄色い箱に入った紅の絹の装丁の本を手に入れたのだったと思う。およそ40年くらい前(1978年頃)の事である。
その頃の彼女は僕よりもずっと真摯に生きること対峙していたし、新鮮な感性で悩み考えていたと思う。それに、もしかしたら壊れてしまうかもしれないという若い儚さをも感じさせた。「智恵子抄」はそんな彼女の話しに出てきたのだ。その頃の僕には彼女の言う「智恵子抄」の“それ”を理解できるわけもなく、そんな彼女の感情を受けとめられるほど成熟もしていなかったが、僕は自分を力を顧みることもなく「彼女を守るべき存在」と感じていた。そうして「智恵子抄」の“それ”を知るべくその本を購入した。
絹の堅表紙は独特の風合いで指先に触れた。
光太郎と智恵子はおよそ平凡とは言えないどちらかと言えば不運な境遇にあったといえる。はたして智恵子にとってどうであったかわからないが光太郎にとっての二人の関係については羨ましくもあるようにも感じた。(今にしてみれば智恵子を幸せにできなかったことを男の抒情で覆い隠しているのだと言えなくもないが・・・)
僕は光太郎の真摯さと一途さには共感したが、このような感情の吐露は当時の自分には憚られて、それは何かしら軟弱な生き方のようにさえ感じた。当時の自分は深い悩みの底にいるわけでもなく、癒えそうもない傷を負っているわけでもなく、漠たる不安はあるもののリッジラインを歩いてわけでもない。自分には残された時間が無限にあるようでもありで若さに依存して一つ一つを乗り越えれば何とかなる。そんな風にしか未来を予測できないということでもあった。未だ未熟であった自分には光太郎の心の内を感じる余裕などなかったのだともいえる。
同時に僕はある種の高慢さをもって彼女を愛するということについて自信を持っていたが、それは単に僕の意思と覚悟であって、それ以外の裏付けがあったわけではなかった。それは、若さの極みだったかもしれない。
流されることなく自分は自分で居たい、そういう心境から天邪鬼で酔狂を良しとしてきた自分だが、それとて信念があったわけではない。自分が何者でどこから来てどこへ行くのかぼんやり考えても答えをもっていなかったし、ただ、今とその先にいる自分が得体の知れないものに縛られることは良しとしないのは勿論のこと、何かに囚われず自分が自由であることが生きることの必然であり唯一の論法であった。もとより自由など何かしらの制約との対比でしか存在できないが、避け得ない必然を除いては自分の意思のほかに自分を制約するものを良しとしなかった。言い換えれば、ただ、そのことのみを拠り所に彼女に対峙するしか無かった。
そんな風に感じるなかで「智恵子抄」の“それ”は僕にある命題を課した。
「光太郎がしたように僕は彼女が壊れてたとしても愛することができるか。」
つまり「僕が愛する彼女の実体はなにか?」ということでもあった。
今ならは命題などといってそれを言葉にすることができるが、当時の自分にはこの問に答えを出せるべくもなく、この命題を表に出すことは憚られ意識の中に潜ませるしか無かった。当時、彼女との間に光太郎と智恵子の話題が出たのは、もしや彼女がこの命題を僕に突きつけるためだったといえなくもない。そうして、今に至っている。

光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき

ふとしたきっかけから光太郎の「うた六首」にふれる機会があった。
なにか気にかかって「智恵子抄」を読み返してみた。(絹の装丁は本棚に入れたままに、今時はiPhoneで)そうして読み返しているうちに意識の底に置いてあった「命題」が思い起こされた。
昔と違うのは、彼女と僕は結婚していること、僕はこの「命題」に自分なりの答えを見出していることである。
彼女の一生懸命さは今も続いていて、思いがけないこともあったりする。それは可愛らしくもあり、それに嫉妬することさえある。勿論、彼女は壊れていない。
そうして「命題」の答えは自分がそうだと感じているには違いなく、確かに胸の内に有る。それは美しい誤解かもしれない。

5月29日


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