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中仙道 [追憶]

11月24日 テラスで紅茶を楽しんだ後はどこに行く当てもなかった。それでも僕の頭の中にはぼんやりと、中仙道や北国街道のイメージが映っていて、追分のほうにでも行ってみたい気分だった。それを承知で僕はおどけるように「アウトレットにでも寄ってから帰ろうか?」と言うと彼女は首を横に振った。僕とて立ち寄るつもりなど毛頭ない。それよりも冬枯れの林を歩くほうがずっと好きだ。
僕たちは朝の散策で行けなかった雲場池に寄って見ることにした。
もう紅葉は終わっているころだから、木の葉は落ち、美しい木肌が露わになり、枝先には新芽が用意された林の中に、池はひっそりしているに違い。そう思って池の近くまで来ると思いのほか人が多い。僕らは何かしら興が覚める気がしてそこを通り過ぎ、あてもなく追分に向かった。

中仙道を軽井沢から追分に向かうと色々なことが思い出される。僕が何となく追分や軽井沢に引かれたのは、堀辰雄や立原道造にふれてからのことだ。そのことのために軽井沢、沓掛、追分を訪れたわけではなくとも、ここを訪れると、知らずのうちに小説や詩の中の風景を探していた。
あの頃は、高速道路が伸びていなかったから、117クーペの助手席に彼女を乗せて国道254をひた走り、横川からは碓井峠の旧道をぬけるか碓井パイパスを通ってここまで来た。(和美峠、内山峠、十石峠を通ることもあった)幽玄な碓氷峠の霧を抜けると落葉松の向こうに軽井沢が広がっていた。

僕たちは観光ガイドに載るような名所を巡ることはほとんどなかった。皆が一度は訪れるであろう場所でさえ、いつでも来れるからと言い訳にして、その実は訪れていない。皆が行くからとか、有名だからとかということは訪れる理由にならなかった。そのくせ、何かしら自分たちのこだわりのために、こうした場所を訪れるのを苦にしなかった。誰かの示した価値をそのまま受け入れることはなかったし、二人とも色々な価値の基準を自分に置くことを良しとしていた。そうして、そのことにより動かされていた。損や得ではなく、ましてや他人の目を気にするでもなかった。(マナーには配慮したがホスピタリティまでは持てていなかったかもしれない)同時に若い二人はそう考え行動することを内心誇りに思っていた。
こうして齢を重ねていろいろな事を学んだりしても、二人ともそのことは変わらないでいる。(ホスピタリティも少しは身に着いていると思う)

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追分では中仙道の旧道の面影や分去れの先に北国街道の名残を訪ねたこともあった。今ではそれらもぼんやりとした断片の記憶でしかない。助手席に座っている彼女も記憶の断片をつなぎ合わせているようでもある。
図書館、デキ12、白糸、鬼押出し、油屋、分去れ・・・

旧道沿いに中仙道をたどり油屋の前までくると彼女は懐かしそうに写真を撮った。
斜め向かいには堀辰雄文学記念館がある。僕たちがここを訪れていたころには未だなかったと思う。
昔の僕には、風景の中から純粋な部分を切り抜いたような彼の小説に憧れていたようなところもあったので、懐かしい想いとともにここを見て回った。
今では、あまり読み返すこともないが、昼食の折には堀辰雄の「あいびき」を彼女に勧めた。
iPhoneに入れておいたそれは短編なので彼女は直ぐに読み終えたが、僕は彼女に感想を聞かなかった。
その後は、追分宿の資料館、軽井沢駅、旧三笠ホテルなどを、初めて見て回り、帰路についた。

彼女は昔の青かった僕を思い出しただろうか・・・
今もEvergreenでいる僕に気付いたろうか・・・


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