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戯言 [反古]

釣においては、魚よりも人間のほうが常に優位に立っている。元より魚たちは釣り人の罠にはまることを想定し警戒し、そこに生息しているのではない。

自らの複製を残すことがDNAの本質だし、長い年月のうちに魚のDNAに蓄えられた「警戒」が生き残るための一つの条件になっているに違いないのだ。ところが、この「警戒」も含めて何万年もかけて生息環境の変化に対応してきた魚も、人間の釣りという行為による環境の変化ついては充分に対応しているとはいえない。だから、稚拙な毛鉤にも騙されて釣られてしまうのだ。

それでは、キャッチ&リリースを繰り返すとどうなるのだろう。魚の一個体は釣られて後のリリースによって人間の謀略を学習することになる。これを繰り返すと、その一個体は釣られにくくなるかもしれない。しかし、これを何世代にもわたって繰り返すと、釣られても生き延びる種類の魚が増加し、その末裔は釣られやすい種として固定されてしまうのかもしれない。
いやいや、そんなに釣りを出来るはずがない。そんなことがあるはずが無い。釣られた魚は釣られたことによる目に見えないダメージで死んでしまい、終にはつれにくい種類が生き残る増えることになるのだ。本当か・・・
この二つの堺目は何処にあるのだろう。きっと、リリース魚による再生産量が釣による死亡量を上回れば釣りやすい魚の占める割合は高くなるはすだ。何万年かかけて。

それでは簡単に釣れる魚が増えると人間はどうなるか。これほどに釣に興味を示さなくなるかもしれない。そうすると釣による死亡量が減少して全体には釣れにくい魚の比率が増加することになり、またぞろ釣れない釣に惹かれるものが増えてくるかもしれない。いやいや、そんなことは余計な心配だ。

釣においては、魚よりも人間のほうが常に優位に立っている。にもかかわらず釣に行く。だから、自分の釣には釣れないようにするための手かせ足かせが必要なのかもしれない。


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